rishizaka【雑日記】

普段は読書日記だけど、ここでは雑に書いてく

年を追うごとに孤独感がます

最近、孤独感を感じることが多い。それも年を追うごとに。

 

学生の時はそんなこと全く感じなかった。むしろ大勢でいることが苦手で一人で行動することの方が好きだった。

 

正しく言うとそれは今でも変わらない。いや、変わらないのかもしれない。ぼくは今、自分がどう言う人間なのか分からなくなってきている。

 

というのも、一人行動が好きだったのは複数人と行動しなければいけない状況にあり、そこからの逃げ場として好きだったからだ。

 

しかし今ぼくは会社に就職し、リモートワークで日々を過ごしている。そうすると基本的には一人で過ごすことになる。もちろん、オンラインで会話をする機会1日に2度、始業と終業のタイミングで設けられている。

 

しかし、まぁ実際に会社に出勤して話すよりは圧倒的に負担が少ない。もちろん純粋にその環境はぼくにとって嬉しい。

 

嬉しい気持ちはあるのだが、その反面孤独感が強まる。

 

最近ぼくが孤独感を感じているのは、今言ったような職場の環境も要因の一つだが、他にもある。

 

それは将来のこと、具体的には仕事や恋愛なのだが、それについては長くなりそうなので別の機会に譲りたいと思う。

ぼくはなんのためにお金を稼げば良いのか?

最近、なんのためにお金を稼ぐのか、その意義がわからなくなってきた。

 

実家住まいで金銭的な負担は少ない。もし一人暮らしにをしたとしても、金銭的にめちゃくちゃ厳しいわけでもない。

 

そして今はコロナ禍だ。そのせいでお金を使う機会も圧倒的に少なくなっている。飲み会、カラオケ、ディズニー、旅行..など、まぁ世間体なんて気にする必要ないんんだけど、でもそこまでしてこれらを楽しもうとも思わない。

 

そうすると、月に消費するお金は本当に少なくなる。大学生の時、ぼくは遊び人ではなかったが、それでもその時と比べても使う金額は少なくなった。

 

趣味といえば読書くらいだが、どんだけ漫画や本を買ってもせいぜい3〜4万だ。一冊600~2000ぐらいだとしても10冊程度買うことができる。

 

だが社会人になると圧倒的に読書の時間が取れなくなるので、10冊でも多いくらいだ。

 

だから本当に稼ぐ意義がない。

 

お金を稼ぎ貯金をする理由。多くの人は将来のためとか、結婚して子供に良い環境を与えたいという理由があると思っている。

 

ぼくもそうだ。しかし最近では、「家庭のためにお金お稼ぐ」というのはポリコレ的に主張しづらい。そんなことを言ってると、「思考のアップデートが必要」とか言われかねない。

 

でも人間って意外と他人のための方がモチベーションが上がるよなとか思う。

 

もちろんそれは幻想だ。”君は運命の人だ”なんてめっちゃステレオタイプな恋愛ドラマに出てきそうなフレーズがあるが、そんなわけない。

 

そういうキザなことを言う奴に限って、ただ単にヤリたいだけで、すぐに彼女をとっかえひっかするという偏見がぼくの中にはある。

 

そう、恋愛ってそもそも本質的には意味ないし、幻想だし、種としての生存本能をどうにかこうにか脚色してストーリ仕立てにしただけだ。

 

でもだからこそ、幻想だからこそ意味があるんじゃないかって最近は思う。

 

なぜかと言うと最近ぼくはそのような幻想を抱かなくなってしまったからだ。幻想を抱かなくなっると、日々の生活が本当につまらなくなる。

 

今社会人としてそれなりお給料をもらいっているけど、正直それだったらフリータで給料低くていもいいから気軽に働きたい。

 

そんなことを思うぐらい今の日々はつまらない。

アイドルは恋愛を禁止すべきかどうか

 昨今では、アイドルの恋愛が週刊誌でたくさんスクープされている。そのことに対して「今時恋愛禁止とか言ってんの?アイドルだって人間なんだから恋愛するだろ」というような言説がしばしばなされている。

 

 僕もそう思う。20代の人間、しかもアイドルになるようなそこそこ見た目や愛嬌がよい人なら、ほっとけば恋愛なんか発生するだろう。そのことに異論はない。

 

 しかし、アイドルというのは多くの場合、恋愛禁止をしているからこそ人気が出るのである。容姿がモデルほどよいわけではないし、演技が女優ほどうまくはない。しかし恋愛禁止ということをルールに据えることによって、ファンに幻想を見せることがアイドル(idol)の役割だろう。

 

 もちろん幻想としてのアイドルが、人間にとって善いものかどうかはここでは問わない。とりわけジェンダー問題が話題になる現代社会では、そもそもアイドルひいては芸能人というあり方は、その存在を問われるべきものかもしれない。そのことはひとまず置いておく。

 

 もう一度確認しておくと、多くの場合アイドルは恋愛禁止をしているからこそ成り立っている場合が多い。恋愛禁止がおかしいなら、恋愛禁止というルールなど設けなければいいのだ。

 

 しかし、それでどれだけのアイドルが人気を得ることができるだろうか。恋愛禁止をしていないアイドルは現状でも存在するが、その人たちはパフォーマンスがうまかったり、個性的な雰囲気を作ったりして工夫している。

 

 何が言いたいかというと、自分が人気を獲得するために恋愛禁止ということを公言しておきながら、アイドルだって人間なのだから恋愛したっていいじゃんという二枚舌が良くないと思うのだ。

 

 恋愛したいなら、それが許される場所で頑張ればいい。その代わり求められるものはより厳しくなる。反対に、恋愛禁止のルールのもとにいるならば、そのルールを破るということは正しく裏切りになるからやめたほうがいいと思う。

 

流行の中心が若者であるということ

僕は流行のものにあまり敏感ではない。

 

別にタピオカ自体も好きだし、YOASOBIの曲も好きである。

 

つまり流行っているもの=悪ということを言いたいのではない。

 

ただ「面白いと思う」ということと「流行っている」ということはあまり関係がない。

 

なので流行を追いかけるのに意味を感じないのである。

 

こんなことを中年になって行ってしまうと”老害”認定されてしまうので、22才というギリギリ若者と呼べるうちにこのことを主張しておきたかったのだ。

 

しかもそのようなことは、何も今に始まったことではなく、中学生ぐらいのことから思っていた。

 

なので、別に批判するつもりはないが、テレビでEXITさんやみちょぱさんが「今時のワカモノは〇〇で〜」とか言っているのを見ていて、「いや全然違うわ!」と10代の頃に思っていた。

 

これは別に僕がひねくれているとか中二病であるとかとは関係ないと思う。

 

高校のクラスメイトが40人いたが、流行を追いかけてキラキラした生活を追求していた人なんてせいぜい3分の1ぐらいだったと思。

 

残りの3分の2ぐらいは流行と関係なく、ゲームが好きならゲームをするし、カラオケが好きならカラオケいに行くし、と言った具合だ。

 

「まぁ流行っているからタピオカ買ってみるか」ぐらいの人は大勢いたと思うが、そのぐらいのテンションの人は若者じゃなくてもたくさいるだろう。

 

なので、若者は流行に敏感であるということは、一部の人だけが当てはまるもので、他の人たちは淡々と日々を楽しんでいることを言いたい。

 

あと、”流行の中心は若者である”ということも度々言われるが、そんなこと当たり前であると社会人になり働き出してから思った。

 

流行になるものは、もともとは注目されていないものであるということだ。

 

そのようなことに時間やお金をかけられるのは、まさに両方を持て余してる学生ぐらいだからだ。

 

週に5日、およそ9〜18時で働いていると、そんな余裕はなくなる。

 

わざわざ行列を並んで流行りの店に行くぐらいなら、コンビニでスイーツを買った方が費用対効果が高い。

 

わざわざtiktokで動画を撮っていいねをもらって自己顕示欲を満たすなら、早く寝てその分の労力を仕事に使い、仕事で自己顕示欲を満たす方が色々と徳だ。

 

まぁ何が言いたいかというと、流行を追い続けて消耗するのではなく、自分にとって楽しいことを見つけた方がいいのではないかということだ。

 

そんなことをなんとなく思った。

りえりーの歌声に癒される

僕にとって日常の中で楽しいと思うことや癒しだと思うことはいくつかある。

 

アニメや映画を見ること、ゲームをすること、本を読むこと、カラオケに行くことなどである。

 

その中でも、”癒される”ということに焦点を当ててみると、現在(2021/4/4(日) 午後10時頃)のところ高橋李依(以下"りえりー")の歌声を聞くことが、かなり僕の中で癒され度数が高い。

 

特に『からかい上手の高木さん』のEDになっている曲をよく聞く。

 

りえりーの歌声のどこか好きかというと、高いトーンになった時の歌い方だ。

 

りえりーは高いトーンになると、優しくクリアな歌声が際立つ。

 

僕はもともとMr.Children、GRAY、B'zなどが好きであり、彼らはどちらかというと高いトーンになると力強さが際立つタイプだ。

 

なので元来はそういったタイプが好きである、りえりーとは対極的な歌い方とも言える。

(と言っても『からかい上手の高木さん』のEDは、りえりーが高木さんの役を意識して歌っている。そのため僕はりえりーの歌声が好きなのか、彼女の高木さんの演技が好きなのかは自分でもわからない。まぁとりあえず、ここでは区別しない。)

 

僕はどっちのタイプも好きなのだが、”癒し”という観点から見るとりえりーの歌声が今のところ好きだ。

 

小学生の頃、ユーミンの歌声は人間の脳に癒しを与えるということを科学的に説明していた番組を見た気がする。

 

そういうレベルでりえりーの歌声は癒しを与えるのではないかと思っている。

卒業したので与太話

2021-03-25 00:21:33(アメブロからの転載)

 

本日とは断言しないが、大学を卒業した。

 

僕は人生を振り返るということをあまりしない、人生どころか1日をふりけることすらなかなかしない。

 

 

だけど大学生を卒業し社会人になるといういい機会なので、何かしら書いて電子のゴミとしてインターネット上に撒き散らしておくのも悪くないと思うのでこの記事を書いている。

 

大学での思い出を振り返ると、学生時代で一番楽しかったなと思う。

 

しかし、僕はサークルに入ってもいないしチャラいバイトもしてないのでキラキラした思い出はない。

 

バーベキューもほとんどしてないし、スノボには一回も行っていない。

 

だけど楽しかったのである。

 

では、どのように大学生活を過ごしてきたのか。

 

酒を飲み、本を読み、ミスチルのライブDVDを見て、塾講師のアルバイトをする。

 

授業は結構真面目に話を聞き、昼に家系ラーメンをおかずに白米を食べる。

 

そんな日々だった。

 

正直高校生の頃に憧れていたキャンパスライフとは全然違うものになった。

 

しかし今思えば高校時代の僕は単にバカだったのである。

 

有名になったり、お金を稼いだりそういうことが素晴らしいものだと思っていた。

 

しかし、それは僕にとっては二の次や三の次に大事なものであるのだと大学時代に学んだ。

 

例えば、高級なワインをゼミの先生に奢ってもらい飲んだ経験がある。

 

しかしぶっちゃけてしまうと、ゼミのメンバーとはあまり打ち解けていなかったので、そこまで満足した気持ちにならなかった。

 

逆に、親しい友達とのむガストのワインは100円にもかかわらず、ものすごく満足した気分を与えてくれた。

 

もちろん親しい友達と高いワインを飲むのが一番いいのかもしれない。

 

しかし、やはりワインが高級であるかどうかは、親しい友達と飲むことの重要性には劣るのだ。

 

他にも、例えばミスチルのライブDVDを見て得られる満足感は代替できないものあある。

 

例は他にいくらでもあるのだがキリがないのでこの辺でやめておく。

 

いずれにせよ、大学生活は以上のようなことに気づ4年間だったのである。

 

「そんなこともっと早く気付けよ」と言われそうであるが、確かにもっともだと思う。

 

だけど、それは大学生という暇な期間があったからこそ気づけたと思う。

 

大学生活という時間が大量に余っている日々を過ごした結果、僕が求めたのは「ミスチルのライブDVDを見ること」や「友人と酒を飲むこと」などだったのである。

 

例えば僕が専門学校に行っていたとする。

 

専門学校は月〜金までみっちり授業が入っており忙しいとよく聞く。

 

そしてその期間、自分の人生についてあまり考えることもなく就職し、社会人としてさらに忙しい日々を素顔したとする。

 

そしたら僕は「もし時間があれば僕はもっとお金持ちになれた!」とか「もし大学に行っていたらYoutuberになっていたのに!」とか思っていそうだ。

 

しかしもし大学生になり時間があっても、僕はそのようなことはしないのである。

 

もし大学に行っていたなかったらそのことに気付けなかったかもしれない。

 

いや、結果的には同じなんですよ?

 

結果的には酒を飲み、本を読み、ミスチルやアニメの映像を見る日々を過ごすのです。

 

しかしその生活を肯定できていたかどうか、この部分が重要だと思うのです。

 

結局は、”納得できるかどうか”というのが人生において問われることなのだと、22歳の僕は思う。

 

もちろん今述べた価値観はもっと歳をとるに連れて変わるのかもしれないということだけは記しておこう。

 

しかし、”納得できるかどうか”という現状の価値観を軸にして考えるなら、大学の4年間は大いに有用であった。

 

あ、もちろんこのような生活ができたのはある程度のお金があったおかげなので、お金はどうでもいいというわけではない。

 

最低限は必要だということも留保しておこう。

 

というより、僕の家庭環境も決して裕福ではないのでお金が大事だということは痛いほどわかるし、全く異論はないのだ。

 

いずれにせよ、僕は大学を卒業した。

 

大学を卒業したということは学生生活を卒業したのである。

 

しかし、だからといって学生気分をなくして生きて行こうとは思はない。

 

もちろん仕事は真面目にやる。

 

というより、僕の性格上、仕事をゆるくやるということができない性分なのである。

 

アットホームな職場とか苦手で、仕事は仕事、遊びは遊びときっちり分けて考えるタイプだ。

 

なので仕事をだらだらやるということではなく、真面目にやるんだけどそれでいて、頭の片隅には俯瞰的に学生時代の僕をおいておくという感じだ。

 

いろいろご託を述べてきたが、とりあえず二日後に控えている友達とのカラオケが僕にとって今いちばんの楽しみなので、この記事に書いたことは本当はどうでもいいことなのかもしれない。

 

というより、本当にどうでもいいと思っている。人生観を語るとかダサいし。

 

でも僕がダサいと思うのは人生観を語ることではなく、人生観をひけらかしているにもかかわらずその人生観を承認してもらおうという魂胆が見え見えな人たちだ。

 

それを考慮に入れると、このブログは今のところ、1日のアクセスが4とか5なので特段問題なしだ。

 

この記事は金にもならないし、称賛を得られるわけではないが、一人で”ただ単に”書いているのである。

 

”ただ単に”ということもかなり重要なことだと思うが、これを書いていたら大変な長文になってしまうのでこの辺で終わりにしたいと思う。

就活を終えて

2020-07-22 21:19:09(アムブロからの転載)

 

なんとなく今の気持ちを忘れたくないから、このブログに書き残しておく。

 

日記だといつ捨ててしまうか分からないから。

 

 

先日就職活動が全て終わり、2つの企業から内定をもらうことができた。

 

たくさんの企業を受けたが、ほとんどを面接で落とされた。

 

もともと根暗な方なので、雰囲気自体も暗いし愛想も良くない。

 

何より就職活動にやる気を持てなかたったし、受ける企業への興味とか正直なかった。

 

そういう風に少しでも思っていると、面接官の方もプロなのですぐに汲み取るのだろう。あっけなくお祈りメールが来る。

 

そんな中、最初に内定をくれた企業の人事のかたはとても丁寧だったし、何より変な圧をかけてくることもなかったので物凄いリラックスして面接に望めた。

 

僕が受けていた業種がエンジニアであり、いわゆる”モダンな環境”と言われるところが多かったため、他の企業も圧迫面接みたいなのがあったわけではない。

 

しかし、そういう企業にありがちな変な意識の高さが僕は苦手だった。

 

最初に内定をもらった企業の人事のかたはそういう変な意識の高さもなかったし、とても良い雰囲気で面接をしてくれた。

 

その後、二次面接と最終面接を終え内定をもらったわけでが、その時はとてつもなく嬉しかった。

 

何せ受けても受けてもお祈りメールなので、一時期は本気でフリータになろうかと思いYoutubeで「フリーターのルーティーン フリーターでも全く不自由なし!」的な動画をみて精神を安定させたりもした。

 

なぜこんなにも面接で落とされたかというと、最初に言った通りやる気がなかったのことにほとんど起因しているのだが、そのことも含めてもろもろ甘さがあったのだと思う。

 

いざ面接で落とされまくると少しでも自分に興味を持ってくれる人にめちゃくちゃ感謝するようになる。

 

それまでは、「人から興味を持たれつのなんて面倒だし、そんなこと望んでるのって頭の弱い奴だけだろ。一人の方が楽だし。」というかなりイタい考えがあったと思う。

 

でもこれは僕が単に人と接することが少なかったからここまで意固地になれただけで、とても「一人の方が楽だし」というポジティブなものではなかった、ただそれを紛らわしてたんだなということに気づいた。

 

だからこそ内定を初めてもらった時には嬉しかったし、その人事の方のおかげで就活を乗り切れたと言っても過言ではない。

 

しかし、2社目の内定をもらい最初の企業に内定辞退の連絡をしなければならないことになった。

 

なぜ最初の企業を辞退したかというと、単純に業界の問題で2社目の方が僕が興味がある業界だったからだ。

 

内定辞退を連絡した時は本当に申し訳なく思った。

 

こんな自分を採用していただいたのに、という気持ちだ。(僕は”こんな自分を”というネガティブな思考を自然としてしまうので、ビジネスや営業は絶対無理だなと就活を通じて確信した。)

 

でも辞退を連絡した時でも、その人事の方は全く嫌な感じも見せずむしろ応援してくれたので、さらに感謝の念がこみ上げてきた。

 

昨今では「他人のことなんて考えるな!自分の人生を生きろ!!」というメッセージが盛んに発信されているが僕は全くそれに共感できない。

 

その人事の方意外にも、就活のエージェントの方などたくさんの方にお世話になった。

 

もちろんその人たちはポジショントークということもあると思うが、100%ポジショントークなわけではないだろうし、もし仮にポジショントークだったとしても感謝していることには変わりない。

 

今はこのようにたくさんの人に感謝しているが、時間が経ったらおそらく忘れてしまうかもしれない。

 

そしてもし仮に僕が他人に傲慢になってしまったら、「それは傲慢なことだよ」と未来の自分に伝えたい。

 

だらだらと書いてきたが、これは本当に自分の落書き帳に書くようなとても恥ずかしい内容なのでこの辺しておく。

 

なにはともあれ、僕に最初に内定をくれた採用担当の方へ、本当にありがとうございました。