卒業したので与太話
2021-03-25 00:21:33(アメブロからの転載)
本日とは断言しないが、大学を卒業した。
僕は人生を振り返るということをあまりしない、人生どころか1日をふりけることすらなかなかしない。
だけど大学生を卒業し社会人になるといういい機会なので、何かしら書いて電子のゴミとしてインターネット上に撒き散らしておくのも悪くないと思うのでこの記事を書いている。
大学での思い出を振り返ると、学生時代で一番楽しかったなと思う。
しかし、僕はサークルに入ってもいないしチャラいバイトもしてないのでキラキラした思い出はない。
バーベキューもほとんどしてないし、スノボには一回も行っていない。
だけど楽しかったのである。
では、どのように大学生活を過ごしてきたのか。
酒を飲み、本を読み、ミスチルのライブDVDを見て、塾講師のアルバイトをする。
授業は結構真面目に話を聞き、昼に家系ラーメンをおかずに白米を食べる。
そんな日々だった。
正直高校生の頃に憧れていたキャンパスライフとは全然違うものになった。
しかし今思えば高校時代の僕は単にバカだったのである。
有名になったり、お金を稼いだりそういうことが素晴らしいものだと思っていた。
しかし、それは僕にとっては二の次や三の次に大事なものであるのだと大学時代に学んだ。
例えば、高級なワインをゼミの先生に奢ってもらい飲んだ経験がある。
しかしぶっちゃけてしまうと、ゼミのメンバーとはあまり打ち解けていなかったので、そこまで満足した気持ちにならなかった。
逆に、親しい友達とのむガストのワインは100円にもかかわらず、ものすごく満足した気分を与えてくれた。
もちろん親しい友達と高いワインを飲むのが一番いいのかもしれない。
しかし、やはりワインが高級であるかどうかは、親しい友達と飲むことの重要性には劣るのだ。
他にも、例えばミスチルのライブDVDを見て得られる満足感は代替できないものあある。
例は他にいくらでもあるのだがキリがないのでこの辺でやめておく。
いずれにせよ、大学生活は以上のようなことに気づ4年間だったのである。
「そんなこともっと早く気付けよ」と言われそうであるが、確かにもっともだと思う。
だけど、それは大学生という暇な期間があったからこそ気づけたと思う。
大学生活という時間が大量に余っている日々を過ごした結果、僕が求めたのは「ミスチルのライブDVDを見ること」や「友人と酒を飲むこと」などだったのである。
例えば僕が専門学校に行っていたとする。
専門学校は月〜金までみっちり授業が入っており忙しいとよく聞く。
そしてその期間、自分の人生についてあまり考えることもなく就職し、社会人としてさらに忙しい日々を素顔したとする。
そしたら僕は「もし時間があれば僕はもっとお金持ちになれた!」とか「もし大学に行っていたらYoutuberになっていたのに!」とか思っていそうだ。
しかしもし大学生になり時間があっても、僕はそのようなことはしないのである。
もし大学に行っていたなかったらそのことに気付けなかったかもしれない。
いや、結果的には同じなんですよ?
結果的には酒を飲み、本を読み、ミスチルやアニメの映像を見る日々を過ごすのです。
しかしその生活を肯定できていたかどうか、この部分が重要だと思うのです。
結局は、”納得できるかどうか”というのが人生において問われることなのだと、22歳の僕は思う。
もちろん今述べた価値観はもっと歳をとるに連れて変わるのかもしれないということだけは記しておこう。
しかし、”納得できるかどうか”という現状の価値観を軸にして考えるなら、大学の4年間は大いに有用であった。
あ、もちろんこのような生活ができたのはある程度のお金があったおかげなので、お金はどうでもいいというわけではない。
最低限は必要だということも留保しておこう。
というより、僕の家庭環境も決して裕福ではないのでお金が大事だということは痛いほどわかるし、全く異論はないのだ。
いずれにせよ、僕は大学を卒業した。
大学を卒業したということは学生生活を卒業したのである。
しかし、だからといって学生気分をなくして生きて行こうとは思はない。
もちろん仕事は真面目にやる。
というより、僕の性格上、仕事をゆるくやるということができない性分なのである。
アットホームな職場とか苦手で、仕事は仕事、遊びは遊びときっちり分けて考えるタイプだ。
なので仕事をだらだらやるということではなく、真面目にやるんだけどそれでいて、頭の片隅には俯瞰的に学生時代の僕をおいておくという感じだ。
いろいろご託を述べてきたが、とりあえず二日後に控えている友達とのカラオケが僕にとって今いちばんの楽しみなので、この記事に書いたことは本当はどうでもいいことなのかもしれない。
というより、本当にどうでもいいと思っている。人生観を語るとかダサいし。
でも僕がダサいと思うのは人生観を語ることではなく、人生観をひけらかしているにもかかわらずその人生観を承認してもらおうという魂胆が見え見えな人たちだ。
それを考慮に入れると、このブログは今のところ、1日のアクセスが4とか5なので特段問題なしだ。
この記事は金にもならないし、称賛を得られるわけではないが、一人で”ただ単に”書いているのである。
”ただ単に”ということもかなり重要なことだと思うが、これを書いていたら大変な長文になってしまうのでこの辺で終わりにしたいと思う。